草枕

私のイタリア語事始

イタリアのヴェローナは「ロメオとジュリエット」の物語の舞台であるが、ここにあるローマ時代の闘技場跡で7月、8月の2ヶ月に渡り、オペラが連日上演されている。このシーズンの最終週に出かけることに決めたのが3月で、早速チケットを購入、ホテルと航空券の予約を済ませた。イタリアへ出かける以上多少ともイタリア語をしゃべりたいと思ったので、妻と二人でタイミング良く4月から始まるNHKラジオのイタリア語講座を聴くことになった。イタリア語の読みはまさにローマ字どおりでよく、アクセントは各語の最後から2音節目と一応は決まっているので割りと発音はし易い。面食らうのはすべての名詞が男性名詞か女性名詞に区別されていることだ。男性単数、女性単数、男性複数、女性複数によって通常語尾がo、a、i、eと変化する。名詞の前の定冠詞もil、la、i、leと決まっている。さらに形容詞も形容する名詞の性と単複の別により名詞と同じ語尾変化がある。分かっていてもとっさには整合性がとれない。性別、単複の別がない日本語とかsをつければ複数形になる英語とはまったく違う。もう一つ難しいのは動詞の活用で1人称、2人称、3人称ごとに単数、複数と現在形だけで6通りあり、さまざまな過去形、未来形など含め辞書には20通り以上の活用が載っている。また使用頻度の高い動詞ほど不規則に変化するのだ。一方、活用形によって主語が決まっているので、主語が省略されることが多い。この点は文脈とか敬語の使い方で主語を省く日本語と似ているといえる。
さて8月下旬、5ヶ月の勉強の後、こちらからしゃべるのはイタリア語と決意してヴェローナに入った。しかし早速バッグが到着便に載っていなかったことから空港係員とのやり取りは間違いがあってはいけないので英語でせざるを得なかった。バッグについての航空会社への問い合わせはホテルのフロントに何度も依頼しようやく翌日の夜に届けられた。ホテルではこちらはイタリア語でしゃべっても相手は職業上のサービスなのか、これは駄目だと判断したのか英語で答えてくる。少しがっかり。それでもレストラン、駅、バス、道を尋ねたり買い物などではイタリア語を通せたので、一応の成果と考えよう。今度イタリアへ行くのはいつか分からないがイタリア語の講座はづっと続けるのだ。

願い叶った岬めぐり

知床を訪れるのは2回目だ。36年前休暇をとって一人で旅行し、ウトロと半島の反対側にある尾岱沼まで足を伸ばした。当時ウトロには小さなホテルと民宿があり、泊まった民宿では凍ったままの刺身でわびしい夕食をとったことが思い出される。しかし何より心残りだったのは波が高くて欠航したのか、あるいは寝過ごしたのか、いずれにしても岬めぐりの船に乗れなかったことだ。今回の旅行に参加した動機はここにある。
前夜降り出した雨は上がり、うす曇ながら風は無く波も静かだ。乗り込んだのはバス5,6台の客が乗れるような大型の「おーろら2号」で、冬場は流氷を掻き分けて進む砕氷船として働いているそうだ。バスガイドさんの説明では、甲板では案内放送が聞こえないので案内を聴くには船室のほうがいいようだというので、1階船室の最前列に席を取る。おや、周りのお客さんはなにやら地図らしいものを手にしている。なぜ私たちにはないのか。すぐにフットワークよろしくHさんが案内書を探してきて渡してくれた。彼女は船中をくまなく回り支部の参加者に配ったそうで、添乗員さんにもお渡ししたという。
いよいよ岩肌が近づいてきた。しかし船室の窓越しでは視界が限られ高さ2百メートルの断崖を一望することはできない。2階に上がってみたが席がなく、3階のデッキは大変な混みようだ。1階の船尾に回ってみると、ここはゆっくりしているのでタバコの煙は多少がまんすることにした。案内放送も聞こえる。切り立った崖、ところどころに氷でえぐられた穴、そして流れ落ちる幾筋かの滝、船がこれらに近づくと荒々しい自然の活動の跡を目にすることができる。時には漁区を避けるためか、ずっと岸から遠ざかると知床の山々は霧に隠れて、これがまた秘境の趣をかもし出す。乗客の差し出す手に止まりそうな位置でかもめが飛んでいる。ガイドさんの話では船からヒグマを見ることもあるようだがこの日は目にしなかった。じっと眺めている間に1時間半が過ぎたが、これでかねての願いが叶った。

続 私のイタリア語事始

4年前イタリア北部ヴェローナで開かれるオペラ祭に行く準備として始めたNHKラジオのイタリア語講座、月火水が初級編、木金が中級編ないし応用編であるが、朝食の時間、食べたり、しゃべったりで忙しいもののなんとか続いている。毎年4月と10月は初級に戻るので基礎固めを何度もやることになりここは自分でも大丈夫だと思うが、中級編となると語彙の多さ、話のスピードなど段違いに難しくなり、結局聞き流すことも多い。中級編と3ヶ月ごとに交代する応用編はとても興味深い。例えば「オペラで学ぶイタリア語」、「シェフになるためのイタリア語」、「イタリア文化遺産の旅」、「イタリア音楽への招待」、「イタリア食のサロン」などなど。「シェフになるためのイタリア語」にはイタリアンのレシピが毎週載せられていたので試しにやってみるとなかなか面白い。基本的なレシピ本も3冊そろえたので、マリネなどのアンティパスト、パスタなどのプリモ、魚あるいは肉のセコンド、野菜の付け合わせ等、まだトライしていないドルチェを除けば、一応我が家がイタリアンレストランとなり、ワインとともに娘夫婦とか甥、姪などを呼んで振る舞うと、お世辞でもいい、必ず美味しいと言って褒められるので悦に入っている。家で使用する油をオリーブに切り替えたせいなのか、毎年の健康診断でコレステロール、中性脂肪、尿酸値などやや高めだったのが、今年はすべて正常値となっており、これもなんとなく気分がいい。学んでいるイタリア語を使うには現地に行くしかない。1年前の秋にはパルマハムとパルメザンチーズで有名なパルマへ行くことになった。と言ってもグルメ三昧のためではなくヴェルディのオペラでも滅多に上演されない演目を聴くためである。ローマから30人ほど載せたプロペラ機が夕焼けの空を北に向かうと遥か遠くには白い雪が見えたが、パルマに降り立つともう陽は落ちていた。タクシー乗り場に行くとタクシーがいないし私達夫婦のほかに誰もいない。タクシーはここに電話しろ、と看板に書いている。公衆電話を見つけたのでコインを入れたが一向につながらない。使用不可と画面表示がある。仕方なくしばらく待っていると若いお兄さんがやってきたので事情を話すと、彼は携帯でタクシーを呼んだという。ブラヴォー。彼が呼んだタクシーの運転手にもう一台呼んでもらうことになり、結局1時間ほど待ってホテルに向かった。翌朝、オペラのチケット、ホテル代と共に日本から前金で予約を入れていたツアー会社の英語を話す女性のガイドさんと運転手に連れられて、パルマ近郊のロンコーレにあるヴェルディの生家や彼が建築費を出して建てたブッセートにあるヴェルディ劇場などを見て回った。昼食はこの作曲家が通ったという居酒屋風の食堂に連れて行かれたが、ここでの食事は随分変わっていた。ワインは新酒どころかまだ泡が出ているような状態のもので、これが木のどんぶりで出てくる。度数は高くないのでぐいぐいやれる。食べ物はさすが本場だけあって何種類ものハムがどっさり出てきた。ガイドさんを含め3人でこんなに食べられないと言っていたが、ワインとともに美味しい美味しいとつまんでいるうちに何とかほぼ完食した。しかしラードのハムは地元の彼女も敬遠していた。次の日の夕方今度は1時間ほどの電車の旅で再びヴェルディ劇場を訪れた。開場前に着いたが雨が降っていたので狭い玄関に入れてくれた。年配の夫婦が先客でいたので、話しかけてみると、おじさんの方は自分でオペラ病と言っているだけあってこの地方の公演はすべて観に行っているのだそうだ。劇場は美しい馬蹄形をしているが平土間に約100名、3階まであるボックス席に約200名収容というとても小さく至近距離で観られる贅沢な空間だ。ヴェルディが座っていたというボックスは照明機材などが置かれていた。私達のボックスは他に3人の中年女性が入ってきたので開演前、休憩中など私の初級イタリア語を試すチャンスとなった。格調高く装飾的なオペラの歌詞は現地の人にも難しいようでイタリア語の字幕が出てくるので多少は役立った。初めて生で観た「アッティラ」は迫力充分で大満足。Bravo!いや最上級だから Bravissimo !